ギターを買う買うといって未だ買えてない。
とはいえ全く買っていないわけではない。すでに二本買って、今、全て手元にはない。
この二本は比較的信頼できるメーカー(日本製とアメリカ)で、ある意味で安心しきって通販で注文した。店は遠方(関東外)で、当然試奏もしていない。
かつて、ギターにハマっていた時、現在のように試奏もせずに買う、ということはありえなかった。
最もこれは自分の購入スタイルというよりもネット通販が今ほど普及していなかったということがあるが、結果としてみれば、試奏しないで購入したギターは当時も今も全て使わなくなっている。
もちろん通販が悪いという話ではない。楽器通販のECはもはや黎明期を超え成熟期に入っていて(逆に輸送問題によってこれから過渡期に向かうだろう)、かつてのオークションのように誇大広告写真で届いた商品が信じられないほど劣化していたということも、現在ではまずありえない。そんな商売をしていたらこの情報化監視社会では一発でアウトだから。
実際購入した二本も、良いギターだった。ネックの反りはないし、トラスロッドの余裕もある。フレットだって減っていない、電気系問題なし、などなど。価格もまあまあ相場から言えば安いのかもしれない。
しかし、なぜか分からないが、ある時から使わなくなってしまった。使わないということは手元に置いておく意味がないということで、結果手放した。
良いギターだが、身体にシンクロする共鳴を感じないのだ。
優等生だが、友達ではない、そんな感じである。
今でも考える。もしこれらのギターを実際に試奏していたとしたら買ったか?
答えはノー。おそらく買っていない。前述したように良いギターだが、身体にシンクロする共鳴を感じないから。いい奴なんだが、旅行で相部屋には泊まれない、そんな感じ。
Web検索では試奏について色々な意見があるようで、店に迷惑かかるだとか、店員に嫌がられるだとか、試奏モードに入ると購入を断りづらいなど散見されるが、その気持ちは大いにわかるとして、それでもやはり試奏は(どのようなレベルでも)必要である。
最近では某店でヘリテージのH-575というモデルを試奏した。
販売価格が70万ほど。もちろん購入意思はある。購入意思はあっての試し弾き。ちなみに70万という金額はもちろん高い。しかしサラリーマン生活30年近い50歳にもなると実際にこの程度の額はどうにでもなる。もし今若い方で、かつての私のように20万のギターでも高くて買えずに悔しい思いをしているなら心配ない、いずれそんな額はなんでもないと思えるようになる。ただしコツコツと働く必要はあるが。
とにかくそのギター、大変良いものなのは間違いない。各弦のバランスも良好、コードを鳴らすと素晴らしいトーンが響く。全く問題ない優等生高級ギター。しかし、シンクロできなかった。
アバターという映画(妻が好きな映画)で、何かと繋がる時、尻尾をケーブルのようにつないでシンクロさせるというシーンがあるが、あのイメージである。
シンクロできないならやはり、所有することはできない。
ギターを試奏する時、森の木のように沢山のギターが置いている店内で、必ず自分の尻尾と自然にシンクロできるモデルがあるはず。値段は関係ない。そしてもしそのモデルを見つけることができれば、恐らく一生それを手放すことはないだろう(金銭的な問題を除いて)。
可能ならギターのエンドジャックにシールドではなく、自分のシンクロ用尻尾を突っ込んでみたいものである。もっとも、あればの話だが。