50歳からのギター練習日記(何も目指していませんが)

随分ブランクが空いてしまっているギターですが再開しました。

通販で買ったギターは全て売った話

ギターを買う買うといって未だ買えてない。

とはいえ全く買っていないわけではない。すでに二本買って、今、全て手元にはない。

この二本は比較的信頼できるメーカー(日本製とアメリカ)で、ある意味で安心しきって通販で注文した。店は遠方(関東外)で、当然試奏もしていない。

かつて、ギターにハマっていた時、現在のように試奏もせずに買う、ということはありえなかった。

最もこれは自分の購入スタイルというよりもネット通販が今ほど普及していなかったということがあるが、結果としてみれば、試奏しないで購入したギターは当時も今も全て使わなくなっている。

もちろん通販が悪いという話ではない。楽器通販のECはもはや黎明期を超え成熟期に入っていて(逆に輸送問題によってこれから過渡期に向かうだろう)、かつてのオークションのように誇大広告写真で届いた商品が信じられないほど劣化していたということも、現在ではまずありえない。そんな商売をしていたらこの情報化監視社会では一発でアウトだから。

実際購入した二本も、良いギターだった。ネックの反りはないし、トラスロッドの余裕もある。フレットだって減っていない、電気系問題なし、などなど。価格もまあまあ相場から言えば安いのかもしれない。

しかし、なぜか分からないが、ある時から使わなくなってしまった。使わないということは手元に置いておく意味がないということで、結果手放した。
良いギターだが、身体にシンクロする共鳴を感じないのだ。
優等生だが、友達ではない、そんな感じである。

今でも考える。もしこれらのギターを実際に試奏していたとしたら買ったか?

答えはノー。おそらく買っていない。前述したように良いギターだが、身体にシンクロする共鳴を感じないから。いい奴なんだが、旅行で相部屋には泊まれない、そんな感じ。

Web検索では試奏について色々な意見があるようで、店に迷惑かかるだとか、店員に嫌がられるだとか、試奏モードに入ると購入を断りづらいなど散見されるが、その気持ちは大いにわかるとして、それでもやはり試奏は(どのようなレベルでも)必要である。

最近では某店でヘリテージのH-575というモデルを試奏した。

販売価格が70万ほど。もちろん購入意思はある。購入意思はあっての試し弾き。ちなみに70万という金額はもちろん高い。しかしサラリーマン生活30年近い50歳にもなると実際にこの程度の額はどうにでもなる。もし今若い方で、かつての私のように20万のギターでも高くて買えずに悔しい思いをしているなら心配ない、いずれそんな額はなんでもないと思えるようになる。ただしコツコツと働く必要はあるが。

とにかくそのギター、大変良いものなのは間違いない。各弦のバランスも良好、コードを鳴らすと素晴らしいトーンが響く。全く問題ない優等生高級ギター。しかし、シンクロできなかった。
アバターという映画(妻が好きな映画)で、何かと繋がる時、尻尾をケーブルのようにつないでシンクロさせるというシーンがあるが、あのイメージである。

シンクロできないならやはり、所有することはできない。


ギターを試奏する時、森の木のように沢山のギターが置いている店内で、必ず自分の尻尾と自然にシンクロできるモデルがあるはず。値段は関係ない。そしてもしそのモデルを見つけることができれば、恐らく一生それを手放すことはないだろう(金銭的な問題を除いて)。

可能ならギターのエンドジャックにシールドではなく、自分のシンクロ用尻尾を突っ込んでみたいものである。もっとも、あればの話だが。

 

 

ものすごく興味の湧いたギター店

相変わらずヴィンテージギターを探している。

それでヒットしたのがこれ


ハードオフ??

別にdisるわけではないが、楽器屋ではなくてハードオフ??

しかも値段が300万越え??

なんというか、これは。。正直、誰が買うの??という感じで興味が湧いた。

もちろん値段ではない、値段もそうだけどヴィンテージの世界なら全然アリの値段だろう。問題はこれをハードオフで買う、の、か?ということ。

 

繰り返すが、disってはいない。しかし餅は餅屋に任せろ、という言葉もある。

私はハードオフのユーザーだし(先月も小物を買った)、中古店の存在はありがたいのだが、こんな繊細なヴィンテージを管理できるのか、という疑問もある。なんか、安っぽく見えてしまうし(笑

 

そして誰が売ったのだろう?という疑問。

ハードオフにヴィンテージ売りますか? その理由はなんですか?

疑問だらけ。しかしそういう時代なのかも。

中古ギターの精神的残留物について自論

私がこれまで買ってきたギターの9割は中古だ。

理由なんて考えたこともない、安いからとか木が乾いてるとか、そういう観点ではなく、ただ単純に欲しいと思ったギターが中古だった、という感じかなと思う。

学生時代、近くに中古楽器店が乱立していたのも原因としてある。

その界隈ではむしろ新品の方が異質で、いかに状態の良い中古を良い価格で売るか、を競い合っているようだった。

前回からギター検索の続きで、調べると中古ギターに対して生理的な嫌悪感を覚える方々が一定数いることを知って驚いた。

私は中古というモノに嫌悪感はない。

理由は恐らく、末っ子だったため着るもの、使うもの、場合によっては食べるものが全て中古だったからかもしれない。兄弟のみならず、先輩からの譲りものも沢山あった。

まあとりあえずそんな視点から見るのも面白そうだから、中古に対してあえて嫌悪感を覚えるようにして、ギターという楽器をみてみると、なかなか面白い発見があった。

 

まず弦

どんな人間がどんな手で触ったかわからないというのは間違いないかと思う。

個人の経験として楽器を触る前にアルコール消毒をしているのをみたこともないし私自身がしない。そんな面倒なことするわけない。

同じくするわけがないのがスナック菓子などをボリボリ食べながら弦を触ることだが、これはひょっとしたらシテいる人もいるかもしれない。

そうなると唾液のついた手が弦をぬろっと触って、スライドやビブラートのたんびに唾液飛沫がフレットインレイの如く指板にこびりついているかもしれない。

ただ、弦についは基本的に問題にならない。消耗品だから。替えれば良い。

指板?まあこれもレモンオイルで拭けばいい。それで綺麗になる。

そうなってくると、ボディについても拭けば良い、ということになる。ギターポリッシュで入念に拭けば、恐らくその、体液系なるものは綺麗に拭いさられるだろう。物理的には新品同様。めでたし。

というのが私の見解で、だから特に中古品が嫌ということはない。拭けば、洗えばいい。まあ言ってみれば新品だって検品時に誰がどんな手で触ったかわかったものではないから。

で、そこで疑問が湧く。なんで中古が嫌な人がいるのか?何が嫌なのか?

それで、ふと思った。

物質的ではなく精神的な残留物が嫌なのでは、と。

これについては私もまあ、深くは考えないだけで、よくよく考えてみると、検討するに値する事柄ではないかと思えてきた。

 

最初に、私は兄弟や先輩からお下がりをもらっていたから中古は平気と書いたのだが、これには暗黙の前提がある。それは前所有者がはっきりしていることだ。

兄弟はもちろんのこと、道で会おうものなら因縁をつけてくるかわりに、ラーメンを奢ってくれる優しいヤンキー先輩のボンタン、裏ボタン、財布、時計などなど、生理的に嫌がる理由はない。時代が古くてすみません。

ところが中古ギターはどうか。

別にギターじゃなくても良いが、中古品の前所有者についてこれまで考えたことがあるか?

その人はどんな人なのか、そしてなぜこのギターを売ったのか、ハッピーな理由?それとも不幸の霧に包まれてしまった故なのか、ひょっとして遺品? 云々。

生きているかどうかもわからない前所有者のものを所有することでツキが上がるか?

歳をとるとだんだんとそういったことを考えるようになる。唯物ではなく唯心というやつ。だからタチが悪い。そう言ったことを考えるべきではないのだ。

100万のギブソンヴィンテージを買ってツキが落ちるのなら、買わない方が良いだろうね、なんて。

 

初心者こそ高いギターを!?

先日のギブソン高騰の一件以来、気晴らしにネット検索していたら初心者が買うギターは安物か高物かという議論があるらしい。

私がギターを始めたのは19歳の頃なので、まあ一般的にはかなり遅咲きである。本当は中学生の頃に始めたかったのだが、エレキと不良のイメージを払拭しきれない親に反対された。中学生では小遣いもないし、まあ結局それで諦めた。

とにかく大学生になってから憧れのギターデビュー、だが、まずギターが無い。すると親戚の叔父さんが昔使ってたフォークギターをくれた。もちろん無名メーカー品だった。

そのギターで朝から晩までコードの練習をしていたのだが、ある日Fコードがどうしても押さえられないことに気がついた。

指板のイラスト通り指を押すのだが、音が鳴らない。もちろんFコードが他のコードに比べ難しいことは百も承知である。しかし、いくら何でも全く音がしないのもおかしい。とにかくそれをひと月ほど経験した後で、ようやく気がついた。

ひょっとしたらこのギターが悪いんじゃないか?

思い立ってから善は急げ、で近くの楽器屋に行った。その当時街には至る所に楽器屋があった。大手から個人店まで。今も残っているものもあれば、そうでないのもある。

とある個人店へ入り、髪の長い店員さんに勧められるままアコギを試奏した。タカミネのエレアコである。

びっくりした。

あの時の感動は今も覚えているが、とにかくFコードが鳴ったのだ。ファドファラドファーって。

買います、そう店員さんへ伝えた。確か当時7万くらいなので恐らく今では15万近いだろうか。迷いはなかった。ただやはり学生なのでお金がなかったので分割した。

そうして手にしたタカミネのエレアコだったが、もちろんアンプも無いので生でジャカジャカ弾いていた。それからだと思う、飛躍的にコード奏法が上達したのは。

このギターなら何でも押さえられる。そう思った。練習が楽しくて仕方なかった。長渕さんの順子を何度も弾いて基本コードを練習した。

そしてなぜ叔父さんのギターでは音が鳴らなかったのかわかった。理由はシンプルで、叔父さんのギターは単純に弦高が最大に高かったのだ。

恐らく12フレットで5ミリ、例のFコードの基本である1フレットですら3ミリはあったかと思う。ネックも反っていたし弦も錆びていた。

もちろんこの事実に気がついたのは良いギターと相対的に比較判断できたからで、もしあの時ギターを疑わなかったら叔父さんのギターがギターという楽器の象徴的な存在、つまり弾く人を選ぶ、指が赤くなるほどどこまでもサディスティックな楽器ということで、諦めていたのかもしれない。

握力マシンのような叔父さんギターで散々練習していたので、弦高の低い良いギターでコードを押さえるなんて何でもないことだった。それには感謝している。

よって私個人の経験としては、初心者こそある程度高いギターを購入すべきだと思っているし、初心者用の安物を買ったとしても、壁にぶつかったら、例えばFコードなど、ギターを疑うのが良いのではと思う。

それからギターの性能は5の倍数で変わるという持論もある。経験的なものだが、5千円の格安ギターと1万、それから5万と10万、そして15万と30万、この金額を境目にして体感的にグレードが違うと感じることができる。

何度もいうがあくまで経験論である。そして30万を超えるとブランドやプレミア、レアパーツの使用や意匠を凝らしたデザインが増えてくる。そんな感じだ。

最も今の相場ではこのスケールは当てはまらないかもしれないけど。

 

 

 

 

 

 

ギター高騰が異常だった

弾く気になったのはいいが、家にはギターがない。いや正確に言えばある。ガットギター。三万くらいの安物で、およそ二十年近く触っていない。

とりあえず池袋、渋谷、お茶の水界隈を回り、最近のギター事情を調べる。目的はジャズギター。セミアコフルアコなら良い。

某店にES-175があった。これは私が学生の時に使っていた最後のギターだ。ノリで撮った写真にも写っている。

で、え?90万?あーこれはヴィンテージだからか。では1990年代ならどうか。

えーと、60万??

確か当時新品で25万程度だったはず。信じられない価格設定。

とりあえずその中でも一番安いものを試奏。うん、これこれ。このタイトな感じ。箱鳴りするギターではないがPAFを通すと一気にジャズサウンドへ。あるある。うんうん。

とりあえず買わずに(当たり前)店を後にする。

しかし60万の価値があるか、と言われれば、まあ少なくとも私にはない。

誰かが買うんだろうな。先日見たデジマートにあった他の個体もすぐに売れていたし。

買うから高くなる。だね。需要と供給曲線。しかし175所有者の多いこと。他人と被るのが嫌な私には寄せ付けない値段設定はちょうど良い。なんて。

 

 

 

さて、何から始めようか

私は1990年代が好きだ。

あの第二次バンドブームと呼ぶべき時代。

70年代や80年代より進化しているけどネットも携帯もスマホも何もない時代、オールドを引きずっている、バンダナをしてアコースティックギターを持って高速バスに乗ることが許容されていた時代。

皆競い合うように楽器を始めて、それから少しでも芽があればインディーズデビューできた時代。そして運と商才があればメジャーデビューしていく同世代の若者たち。

90年代を大学生として過ごした私はそういう空気をたくさん吸ってきた。事実メジャーデビューした友人もいる。多感な時期にワクワクするような音楽シーン、宝くじを買うような高揚感。

私はというとへぼいロックバンドからジャズ風バンドまで下手なギターを弾きながら90年代の終わりを過ごした。

そして環境の変化とともにやめたギター。

さて、どのように再開しようかな。